第二展示室
利根川と文学・芸術
利根川流域の市町村には、広く日本の文化・産業の発展につくした先覚者が少なくありません。地元出身の人ばかりでなく、よそから移り住み、おおいに活やくした人もいます。
利根川と先覚者
利根川流域の市町村出身の文化・産業の先覚者をご紹介します。
浜口吉兵衛(はまぐち・きちべえ)
明治元年(1868)~昭和15年(1940)
銚子漁港の回収および醸造業の発展に尽力。
田中玄蕃(たなか・げんば)13代目
弘化2年(1845)~昭和11年(1936)
総武本線の開通および醸造業の発展に尽力。「醤油沿革史」ほか
大原幽学(おおはら・ゆうがく)
寛政9年(1797)~安政5年(1858)
農村指導の先覚者。「微味幽玄考」「性学趣意」「口まめ草」ほか
邨岡良弼(むらおか・りょうすけ)
弘化2年(1845)~大正6年(1917)
考証学の権威。「日本地理志料」「続日本後紀纂詁」ほか
木村正辞(きむら・まさこと)
文政3年(1820)~大正2年(1913)
明治五大国学者のひとり。「万葉集書目提要」「万葉集美夫君志」ほか
伊能忠敬(いのう・ただたか)
寛保2年(1745)~文政元年(1818)
はじめて全国測量し、正確な日本地図を作成。「大日本沿海 地全」「実測録」など
佐藤舜海(さとう・しゅんかい)
文化10年(1827)~明治15年(1882)
近代的な外科医術の蘭方医。佐藤尚中とも。「外科医法」などの翻訳書多数
清宮秀堅(せいみや・ひでかた)
文化6年(1809)~明治12年(1879)
国学者。「下総国旧事考」「新撰年表」など
茂木亀雄(もぎ・かめお)
弘化元年(1844)~明治32年(1899)
明治時代の実業家。亀甲萬(現キッコーマン)創業者。茂木佐平治(7代目)とも。醤油醸造業の発展に尽力。
岡田武松(おかだ・たけまつ)
明治7年(1974)~昭和31年(1956)
気象学者。文化勲章受章。「気象学講話」「気象学」「雨」ほか
香取秀真(かとり・ほつま)
明治7年(1874)~昭和29年(1954)
近代の金工界の第一人者。文化勲章を受賞。「日本金工史」「金工史談」「日本鋳工史」ほか
文学・芸術に表れた水郷
かつての利根川は、江戸(東京)と地方を結ぶ水運の大動脈で、多くの文人たちの交流を盛んにしました。訪れた人々は、その風情をいろいろな作品に残しています。
江戸時代から明治・大正・昭和を経て現代にいたるまで、水郷は庶民の行楽地として栄えてきました。利根川下流域と霞ヶ浦・北浦を中心とする水郷地域とその周辺には、香取神宮・鹿島神宮、息栖(いきす)神社の東国三社(とうごくさんしゃ)をはじめとして、成田山や銚子周辺、筑波山といった名所、旧跡があり、文人墨客はもとより、庶民にとっても魅力的な地域でした。そのため、「奥の細道」で有名な俳人松尾芭蕉をはじめとして、小林一茶、「東海道中膝栗毛」で有名な十返舎一九、洋学者で画家の渡辺崋山などがこの地を訪れて、作品を残しています。また、近代に入ると文豪の筆になる観光案内的な旅行記が出版され、広く読まれました。
一方、江戸中期になると、庶民の間で東国三社参詣が流行し、成田参詣や銚子見物とあわせて水郷遊覧がさかんに行われました。それは、近代に入り、蒸気船や鉄道網が発達してからも、衰えることはありませんでした。
近代の水郷観光と案内記『水郷を旅する人々』展示解説用リーフレットより 「水郷之美天下に冠たり」とは文豪徳富蘇峰が、水郷に捧げた賛辞です。自然主義文学者として有名な田山花袋も「おお東洋のベニスよ」と水郷を絶賛しています。江戸期に庶民の社寺参詣として発達した水郷遊覧は、近代に入っても、新たな時代の感性にかなう景観美を備えた観光地として発展してゆきました。 |
江戸時代
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明治以降
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