令和4年度秋の展示 おはまおり-海へ向かう神々の祭-

 

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大原はだかまつり(写真:当館所蔵)

 

概要

 神輿が海や水辺に渡御(とぎょ)する祭り「おはまおり」。東日本の太平洋岸に広く見られ、特に四方を多様な海・川に囲まれている千葉県では多様な形の「おはまおり」が各地で行われており、名称も「おはまおり」のほか「しおふみ」「おはまで」など様々です。安産・子育て、豊漁豊作、疫病退散などの願いが込められた「おはまおり」は、海とともに生きてきた人々の暮らしや文化を象徴するものであり、地域の人々の精神的な支柱となってきました。本展示では「おはまおり」の歴史や意義、魅力について紹介します。

 

チラシ(1131KB)(PDF文書)

 

【開催日】令和4年10月22日(土)~令和5年1月9日(月・祝) 

※新型コロナウイルス感染拡大予防の状況により開館日や会期を変更する場合がございます。最新の情報についてはこちらをご覧ください。

【会場】中央博物館第1企画展示室ほか

【開館時間】9:00〜16:30(最終入館 16:00)

【休館日】月曜日(1/9(月)は開館)、年末年始(12/28(水)〜1/4(水))

【入館料】一般300(240)円、高・大学生150(120)円 ()内は団体料金

※次の方は無料:中学生以下・65歳以上の方(年齢を示すものをご提示ください)・障害者手帳をお持ちの方(手帳もしくは手帳アプリをご提示ください)及び介護者1名

 

【後援・協力団体】
後援:朝日新聞社千葉総局、産経新聞社千葉総局、東京新聞千葉支局、日本経済新聞社千葉支局、毎日新聞社千葉支局、読売新聞千葉支局、千葉日報社、NHK千葉放送局、千葉ケーブルテレビ協議会、千葉テレビ、bayfm(順不同)
特別協力:船の科学館「海の学びミュージアムサポート」

        

 

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担当者による特別解説4

今回の展示では、千葉県内で行われている神輿が海へ向かう祭礼を紹介しています。最も一般的な名称である「おはまおり」をタイトルとしましたが、実際には「おはまおり」のほか、「汐踏み」「お浜出」「磯出」など、県内各地にいろいろな呼び方があります。古い記録には「いそまくり」という呼び方も出てきます。

行われる時期も早春、春、夏、秋と様々で、形態もバリエーションに富んでいます。

そもそも、おはまおりは岩手から神奈川までの太平洋沿岸に集中して分布しているといわれていますが、とりわけ千葉県に数多く、形態も多彩であるのは、四方を多様な海と内海に囲まれた半島だからでしょうか。

今回の展示では、多彩な千葉県のおはまおりの魅力を紹介するとともに、一見多様に見える千葉県のおはまおりが、同様の心意のもとに行われていることにも気づいていただけるよう構成しています。

今回は、神話を背景としたおはまおりをご紹介します。

 

まずは忌部の神々による房総開拓の神話です。

大和朝廷で祭祀を担った忌部氏(いんべし)の祖、天富命(あめのとみのみこと)は、大嘗祭などで用いる木綿(ゆう)や麻布(あらたえ)を作るため、その材料となる榖(かぢ)と麻の適地を求めて、四国阿波から房総に来着し開拓を行ったという伝承があります。そして阿波の忌部が居を定めたので、その地が「安房郡」と名づけられ、天富命が祖父神である太玉命(あめのふとだまのみこと)の社(みやしろ)を立てたのが現在の安房神社だといわれます。

木椀 安房神社蔵

天富命が使用したと伝えられる木椀(安房神社蔵)

 

この伝承の原典は、平安時代の初期に成立した『古語拾遺(こごしゅうい)』に求められますが、現在も房総半島各地で語り継がれており、そして、この伝承に基づいて忌部の祖神に感謝する祭が、安房神社で8月9日、10日に行われてきました。昭和32、3年ころまでは9日に近隣9社の神輿が安房神社に集まり、また10日には相浜の海岸に出て、富士山の肩に沈む夕日を見ながら神事が行われました。

 

平成30年のお浜出

平成30年(2018)におよそ60年ぶりに行われたお浜出(写真提供:安房神社)

 

古代史では、忌部氏による安房地域の開拓は否定される向きが強いようです。しかし古代の房総では望陀布(もうだぬの)という最高級の麻布が生産されて大嘗祭(だいじょうさい)など宮中祭祀で用いられていた事実があり、新しい麻の栽培技術や高度な麻布の製織技術が西方から海を通じて伝えられたことが、忌部の神話に仮託され、伝承されてきたのではないでしょうか。

実際、宝暦9年(1759)の安房神社縁起書には「旧伝」として、9月28日に安房国中の神輿が集会し「浜出神事」が行われたこと、集会した神輿のなかに館山の鶴谷八幡宮があったことなどが記され、日程や集会する神社に変遷があったことが伺えます。祭礼の在り方や由来伝承にも変遷があったかもしれません。

 

『安房神社旧記』に記される「浜出神事」

『安房神社旧記』に記される「浜出神事」(安房神社蔵)

 

また、安房神社の神輿が相浜に「お浜出」する意味について地元の方々に伺ったところ、「岡と浜が一緒に祭りを行うことで、岡は万作に、浜は大漁になる。岡は海の恵みに与りたいし、浜は岡の安定性にあやかりたいということでは」とのことでした。

 

安房神社のお浜出は、新しい文化に向けて拓かれている海、漁をもたらす豊穣の源としての海に感謝をし、その力に与る祭りだったのではないかと考えます。

 

昭和15年のお浜出

昭和15年(1940)のお浜出(写真提供:安房神社)

 

次に富津市西大和田 吾妻神社の祭礼をご紹介しましょう。

旧吉野郷7ヶ村を氏子とし、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征に従って嵐の海に身を投げた弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)が祀られています。媛の櫛が浜に流れ着き、それを馬が咥えて山をかけあがったので、櫛を納めて媛の御霊を祀ったのが吾妻神社の始まりと伝えられます。

 

祭りの朝、浜で清められた神馬は、岩瀬の浜から神社まで来ると、神社の石段を駆け上がり、境内で背に幣束を掲げられます。そして媛の御霊をのせた神輿に先だって浜に戻ります。

 

石段を駆け上がる神馬

石段を駆け上がる神馬

 

浜では、若者たちが手綱にしがみついて浜を駆ける「馬だし」が行われ、媛の櫛が流れ着いたとされる場所で神馬の幣束が降ろされ、砂浜に埋められます。そして遅れて到着した神輿が海に入ります。弟橘媛命にまつわる故事をなぞるように祭礼が行われていることがわかります。

浜を疾走する神馬

浜を疾走する神馬

 

砂浜に神馬の幣束を埋める

砂浜に神馬の幣束を埋める

 

しかし「馬だし」は、弟橘媛命の故事に関わらず、かつては君津地域の多くの祭りで行われ、家で可愛がっている農耕馬を飾り立てて、たくさんの人が集まりました。今日はあっちの祭り、明日はこっちの祭りと、馬を曳いていく人もあったそうです。

また、漁を業とした岩瀬地区からイナダが奉納され、神輿に下げられます。イナダには無病息災のご利益があるといわれ、浜で各地区に分配されます。

イナダを吊るされた神輿を担ぐ

イナダを吊るされた神輿を担ぐ

 

海に入る神輿

海に入る神輿

 

そして、吉野郷7ヶ村の五穀豊穣と大漁、海の安全を祈る祭りだと言われていることからも、弟橘媛命の神話に沿って行われているようにも見える祭りの背後に、海の豊穣に与る心意が強く働いているといえるのではないでしょうか。

 

 

担当者による特別解説3

「おはまおり」とは、神を神輿に乗せて海へ行き、海辺で神事を行ったり、神輿を担いで海に入ったりする祭礼です。

 

では、なぜ神は海へ向かうのでしょうか。
展示にあたり、次の仮説を立てました。
(1)「おはまおり」は、海をルーツとする神の祭りである。
(2)「おはまおり」は、豊穣の源である海の力に与(あずか)る祭りである。

もちろん、(1)と(2)はコインの裏表のような関係にあります。
まずは、典型的な事例として、東大社(とうだいしゃ)【東庄町宮本】、玉崎(たまさき)神社【旭市飯岡】、玉前(たまさき)神社【一宮町一宮】の祭神とおはまおりについてご紹介します。

 

東大社の御産宮(ごさんのみや)や飯岡の玉崎神社には、たくさんの球状の石がご神宝として祀られてきました。硬く、見かけより重量がある真ん丸の石は、海岸で拾われたり漁師の網に入ったりすると、特別な神威の込められた石として、お宮や神社に奉納されたそうです。そして、この丸石は抱くと子宝に恵まれる「子産石(こうみいし)」「子宝石」として、今も信仰を集めています。

東大社御産宮

東大社御産宮(東庄町宮本)

 

これが飯岡玉崎神社の丸石です。

丸石

 

丸石とは自然科学的には化石を核に地層中で形成された石灰質ノジュールで、屏風ケ浦が産出地と推定されています。

九十九里浜を挟んで飯岡の玉崎神社と向かい合う一宮の玉前神社にも、漁師が海で得た珠が神社の起源と説く縁起があります。

海の彼方には、私たちが住む地上とは異なる神々の世界があり、そこから豊穣がもたらされるという信仰が、多くの人々に共有されていたのではないでしょうか。

房総で活躍した彫刻師、波の伊八(武志伊八郎信由)の代表作として知られる「波に宝珠」(いすみ市行元寺旧書院欄間彫刻)も、このような信仰から生まれたものと考えられます。

波に宝珠

「波に宝珠」(写真提供:伊八会)

 

さて、東大社では20年に一度、銚子市の外川への神幸(しんこう)が行われます。地元では「おおじんさまのおおみゆき」と呼んでいます。外川の浜でおはまおりが行われ、氏子地区に豊作や大漁がもたらされると伝えられてきました。

祭礼の起源伝承のひとつに、次のような話があります。

外川にうつぼ舟で流れ着いた女性が、宮三郎家の老母に助けられて桜井浜(御産宮の場所)で出産し、うまれた男児が東大社の御祭神おおじんさまとなったというものです。この伝承は今も祭礼のなかに息づいています。

 

桜井浜の鳥居をくぐる神輿

桜井浜の鳥居をくぐる神輿(写真提供:鈴木勝富氏)

 

神輿の出立宮三郎家を出立する神輿に「おおじん、おたちやれ」と声をかける(写真提供:鈴木勝富氏)

 

飯岡玉崎神社の神幸祭は60年に一度行われます。神幸先の野手(現匝瑳市)には、応永23年(1416)に、玉崎の神原沖から野手の浜に光輝く石が来着して大漁がもたらされたため、請われて玉崎明神のご神幸が行われるようになったとの伝承があります。

一宮玉前神社の十二社祭りは、毎年行われています。現在では、玉前神社の祭神である玉依姫命(たまよりひめのみこと)と、鵜羽(うば)神社【睦沢町岩井】の祭神の鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)が、一年に一度出会い、誕生した御子神を祝福するために一族の神々が集うのが、十二社祭りであると説明されています。

御霊合わせ

玉前神社と鵜羽神社祭神の御霊合(みたまあ)わせ(写真提供:千葉県文書館)

 

竜形餅

生まれた御子神を表す「竜形餅(りゅうがたもち)」(写真提供:千葉県文書館)

 

神輿

御子神の誕生を祝福して集う神輿(写真提供:千葉県報道広報課)

 

実は、東大社、飯岡玉崎神社、一宮玉前神社は、どちらも現在は玉依姫命を祭神としています。『古事記』や『日本書紀』では、姉の豊玉姫命が山幸彦と結ばれて誕生した鵜茅葺不合命を海に帰った姉に代わって養育し、後に成長した鵜茅葺不合命との間に神武天皇を生んだ海神とされています。

では、玉石への信仰と玉依姫命の神話は、いつの時代にどのような経緯で結びついたのでしょう。

 

こちらは飯岡玉崎神社(旭市飯岡)の玉依姫像です。

玉依姫像正面

玉依姫像背面

平成元年(1989)に本殿が改修された時に、二重に貼られた床板の下から発見されました。左手に宝珠を持ち、濡れ髪の海神像としての表現が認められますので、「玉依姫像」として問題ないと考えます。背後に火を受けた跡があります。

玉崎神社には、戦国時代の天文年間に(1532~55)に兵火を受けたとの伝承があり、また現在の本殿の建築年代は、高欄の擬宝珠に刻まれた紀年銘から元禄10年(1697)頃と考えられています。木像が作られたのは少なくとも天文年間以前のことで、本殿建築の際に、何らかの理由で床下に隠されたと考えられます。

『古事記』『日本書紀』などに記された古代神話が地方へ定着した時期について、近世の吉田神道による神職支配や国学の隆盛との関連から、江戸時代中期以降と言及されることがありますが、もっと古い時代に遡るかもしれません。

それはさておき、最初に立てた仮説を繰り返します。
(1)「おはまおり」は、海をルーツとする神の祭りである。
(2)「おはまおり」は、豊穣の源である海の力に与る祭りである。

いかがでしょうか。
おはまおりは、これまで「神の禊」と考えられてきましたので、今回の展示では、おはまおりの新しい見方を提示しています。

引き続きこの仮説に沿って、ほかの祭礼についてもご紹介していきます!

 

担当者による特別解説2

◎神輿行列と獅子

神輿行列に加わることの多い獅子をご紹介!

獅子は神輿の進む道を浄める役割を担っています。

 

●平安時代に始まった神輿の祭りと獅子

『年中行事絵巻』(國學院大學博物館蔵)には、平安時代に京都で始まった祇園御霊会(現在の祇園祭の源流)で、神輿の前を獅子が進む様子が描かれています。

神輿が地域を巡行する祭礼の形は、京都から次第に地方に伝わりました。

右下に描かれる、鼻の高い治道(ちどう)や、獅子の周りで笛や太鼓を演奏する楽人たちも、見落とさないでくださいね!

 

●千葉県の獅子

千葉県では現在、1頭で舞う獅子、雄2頭と雌1頭の3頭でひと組の獅子、そして雌雄1頭ずつでひと組の、3種類の獅子が伝承されています。

1頭で舞う獅子は「神楽獅子(かぐらじし)」と呼ばれ、伊勢神宮・熱田神宮の信仰を広めた宗教者の活動とともに全国に広まりました。獅子頭や太鼓をのせた「神楽櫃(かぐらびつ)」と呼ばれる屋台を曳いて神輿行列に加わることも、この獅子の特徴のひとつです。

雄2頭と雌1頭の獅子は「三匹獅子舞」と呼ばれます。関東と東北地方に主に分布し、おなかに括りつけた太鼓(鞨鼓)を打ちながら舞うので「鞨鼓舞(かっこまい)」と呼ぶところもあります。

雌雄2頭でひと組の獅子は、県内では君津地域と東葛地域、そして鴨川市に伝承されています。東京の佃住吉神社や築地波除神社の獅子に似た、大きく重い獅子頭を二人で持って進みます。加えて耳を動かす者、尻尾を持つ者も必要で、また大勢の子供たちで胴幕を持ちます。

 

●シシから獅子へ

そもそもシシとは、食肉とする獣一般を指す言葉でした。「鹿(か)のシシ」も「猪(ゐ)のシシ」も、身近で大切な動物でした。そこに古代(『日本書紀』は推古天皇20年(612年)と記しています)、伎楽(ぎがく)の獅子が朝鮮半島から日本に伝わると、シシは邪気や悪疫を払う霊獣となり、神輿行列などを露払いする役割を担うようになりました。また寺院の法要や宮廷行事に獅子の舞楽が取り入れられたことが、後に民俗芸能として獅子舞が発展する下地になったと考えられています。

今回、千葉県内で神輿行列を露払いする獅子を、安房、上総、下総の各地からお借りし、展示しています。

 

●安房神社(館山市)の獅子

安房神社(館山市)の獅子には角がありません。

宝珠が載る真ん中のものが男獅子(おじし)、左が女獅子(めじし)、右が子獅子(こじし)です。

 

●須原稲荷神社(九十九里町)の獅子

須原稲荷神社(九十九里町)の獅子は「かっこ様」と呼ばれています。地域では、現役を退いた獅子頭も、神様として大切にお祀りしています。奥の獅子頭が古く、手前が新しいものです。時代により形が変化していることがわかります。

角があるのが雄の男獅子(おじし)と中獅子(なかじし)、宝珠が載るのが女獅子(めじし)です。

 

●佐原本宿八坂神社(香取市)の獅子

佐原本宿の八坂神社の祭礼では、「獅子(三匹獅子)」が神輿を先導し、「神楽(神楽獅子)」が後押さえの役割を担います。

下の写真は「獅子(三匹獅子)」です。小顔で角が細く作られています。被る部分が竹籠で軽く作られているのも特徴のひとつです。

右から、大獅子(おおじし)、女獅子(めじし)、中獅子(なかじし)ですが、鼻の孔の形に、三匹の個性が現れています!!

 

また佐原本宿には神楽獅子も伝承され「神楽」と呼ばれています。下の写真がその獅子頭です。

江戸時代の資料には「伊勢神楽」と記され、かつては獅子舞も伝承されていたと考えられます。

 

●吾妻神社(富津市)の獅子頭

そして、富津市吾妻神社の獅子は雌雄ひと組です。角があるのが雄、宝珠が載るのが雌です。

どちらも、とにかく大きくて重いです!!

後ろには大きな胴幕がついていて、幕の上に子供をのせて煽ってもらうと丈夫に育つといわれています。

 

獅子たちには、新型コロナウイルス感染症の終息も祈ります!!

 

 

担当者による特別解説1

◎千葉県の神輿

千葉県内には、神輿を「江戸型」と「房州型」とに区別する捉え方があります。市川市行徳や東京都内で製作される江戸型神輿は、堂(胴)が細く、台輪(台、台座、下台などともいう)が小さいことが特徴で、千葉県内にも一定程度認められます。「江戸型」の神輿に対して、地元の職人が作った堂や台輪がどっしりした重量感のある神輿を「房州型」と呼んでいます。屋根と台の幅がほぼ同寸で、堂も太く、安定感があり、飾りが簡素で質実剛健な印象を受けます。

 

●安房神社(館山市)の神輿

下の 安房神社の神輿は、館山の職人が作ったものです。鳥居の両脇が、一般的な囲垣(いがき)ではなく勾欄(こうらん)で、また担ぎ棒が台を貫通せず、薄い台の下に付いています。これらは、古い時代の神輿の特徴だそうです。

晒のタスキ(力綱)が粋ですね!

 

●貝須賀鹿島神社(いすみ市)の神輿

こちらの大原貝須賀区 鹿島神社の神輿は、宝珠の上に、さらにオオトリ(鳳凰)が載り、ちりめんのタスキを掛けています。これは夷隅地域の神輿の特徴です。修理の時に発見された屋根板の墨書きから、貞享4年(1687)に、地元大原貝須賀区の大工が作ったことがわかりました!

修理を重ねつつも、300年以上現役で担がれ続けている神輿は、本当に珍しいと思います。

墨書きが残された屋根板も、展示しています!

●神輿の担ぎ方

安房神社の神輿は、大きく左右に振る「揉み」が特徴的です。差すときには「おとい、おーとい」と掛け声をかけます。

大原貝須賀区の神輿は、12メートルもの長い「もりん棒(担ぎ棒)」を脇に抱え、「ほいさっ、ほいさっ」と掛け声をかけながら走ります。

 

担ぎ方も動画で紹介していますので、ぜひごらんください。

 

●大井瀧内神社(いすみ市)の絵馬

最後に大原大井区 瀧内神社の絵馬を2点ご紹介しましょう。

天保12年(1841)、文久4年(1864)の年号があり、江戸時代後期と末期の大原の祭りの様子が伺えます。神輿の上に宝珠とオオトリが載り、ちりめんのタスキが掛っていることは、今と変わりがありません。

 

展示ケースごしでは細かい部分が確認できないので、特別にズーム画像でアップします。

普通の着物を片肌、または諸肌脱いで担いでいる様子がわかります。

 

こちらには、ふんどしや腹掛けで神輿行列に加わる人々の姿も描かれています。

 

そして、こちらにご注目ください。
恰幅のよい女性は女力士でしょう。廻しをつけた子供たちの姿もあります。

誰の顔も笑顔です。人を笑顔にするのが祭りなんですね!!

 

展示準備風景

資料借用の旅~香取市の巻~(9月13日)

やってきました、香取市。

はじめは全国に名高い、下総国(しもうさのくに)一宮 香取神宮(かとりじんぐう)です。

香取神宮では神幸祭で使用する資料の借用と、おはまおり展の無事の開催・盛況をお願いしてきました。

香取神宮

雲ひとつない晴天はうれしいけれど、暑い!

 

香取市佐原の本宿では、本宿八坂神社の祇園祭の道具をお借りしました。

本宿の祇園祭(7月)は佐原新宿の秋祭り(10月)と併せて「佐原の大祭」といい、関東三大祭りの一つ。

佐原の大祭は豪華な山車(だし)行列で有名です。しかし!おはまおり展担当は、お神輿の前後を行く猿田彦(さるたひこ)・獅子・神楽に注目。

 

資料借用

猿田彦会(香取市佐原地区本宿 仁井宿)、獅子会(同 八日市場)、神楽会(同 浜宿)の方々が、それぞれお面や獅子頭などを貸してくださいました。

猿田彦会の皆さんに見守られながら猿田彦(天狗)のお面を梱包。

 

資料借用

温かなまなざし。

 

資料借用

お次は神楽会(浜宿)さんのお獅子。

 

資料借用

細かな傷や部品を確認。

 

資料借用

最後は獅子会さん。

 

資料借用

お獅子のたてがみに鵜(う)の羽が使われていることに気付いたH研究員(鳥専門)は興奮。

 

資料借用

獅子会さんではお獅子が持つ綺麗な太鼓も借用。

利根川を利用した交易によって繁栄し、その豊かさから「江戸優り(えどまさり)」と称えられた佐原の気風が感じられます。

 

これらの資料は各地区で保管しているので、お祭り以外で一堂に会する滅多にない機会です。

展示の開始をお楽しみに!

 

 

資料借用の旅~館山・南房総・千葉市の巻~(9月11日)

去る8月末、館山市と南房総市・千葉市で資料を借用してきました。1日で神社1社と個人宅4軒を巡る、なかなかハードな行程です!

洲宮神社(館山市)の御札。ご祭神「洲の神」が描かれています。
木版なので何枚か刷られたはずですが、1枚しか残っていないという貴重なものです。

 

下立松原神社(南房総市)ゆかりの鹿角。
狩猟にまつわる神事を行っていたとされる下立松原(しもたてまつばら)神社には、先端が7・5・3に分かれた不思議な鹿角と、ご祭神が使ったという木椀が伝わっています。

 

古い布につつまれた大きく古めかしい木椀。

 

梱包前に細かい傷までチェック。資料カードに記入します。

 

運んでいる間に壊さないよう、丁寧に包みます。

 

南房総市千倉町白間津(しらまづ)区では、4年に1度行われる「オオマチ(大祭)」の衣装をお借りしました。

 

「白間津のオオマチ」は国指定の重要無形民俗文化財です。
衣装の組み合わせを間違えないように、しっかりとメモ!

 

寒川神社(千葉市)では、お祭りに使う花笠などをお借りしました。
お花をつぶさないように、ふんわりと。

 

展示に向けた準備がはじまっています(7月26日)

10月22日(土)から「おはまおり―海へ向かう神々の祭―」が始まります。
調査で撮影した写真や資料をたくさん展示します。どうぞお楽しみに!

富津市吾妻神社の馬だし祭り: 「オメシ(神馬)」の疾走

 

馬だし祭り:「おはまで」

 

馬だし祭り:幻想的な提灯の灯り

 

勝浦市鵜原の大名行列

 

鵜原八坂神社神輿の「おはまおり」

 

 

展示の概要

1. 海に現れる神々の物語

 四国阿波から房州に来住した開拓神の来住地や遷座の地を神輿がたどる祭り、海から来た女神、玉依姫(たまよりひめ)が神輿で海に戻り、海の平安や安産・子育てを祈願する祭りなど、海を舞台に繰り広げられる神話と、神話を再現するように行われる神輿祭礼を紹介し、海を介して房総に来着した開拓者の歴史や海を豊穣の源と考え畏敬の念を抱いてきた先人たちの思いについて説明します。

安房神社の祭礼と神輿(写真:安房神社提供)

 

2. 武神と海の信仰

 古代の蝦夷征討軍の再現といわれる香取・鹿島神宮の神幸祭、八幡神の放生会(ほうじょうえ)、また中世武士の千葉氏が守護神とした妙見菩薩が海へおはまおりする祭礼などを紹介し、武神を祀り国土安寧・国家鎮護を祈る祭礼が、海上交通の拠点であった土地の歴史を背景としていたこと、次第に海の恵みに感謝する民衆の祭りに変化したことを説明します。

寒川神社祭礼(写真:吉野章郎撮影)

 

3. 民衆の海への祈り

 海は豊穣の源であり、海の男たちは荒波の中で神輿を揉み「岡万作・浜大漁」を祈ります。また、疫病退散を祈る祇園や大杉様の夏祭りでは、川や沼などのハマに降り、水中に神輿を入れることを「おはまおり」と呼びます。特に天王様(八坂神社系の神)は神輿を荒く揉むほど喜ぶと言われ、田に転がしたり、川や沼に投げ入れたりします。豊穣祈願と疫病退散を祈る、房総各地の海とハマの祭りを紹介します。

大原の祭礼(写真:有限会社サンキュー印刷提供)

 

4. 泥の祭

 房総には、泥にまみれることによって豊穣や疫病退散を祈る祭りがあります。内陸部のハマの祭礼の特異な発展形態ともいえる泥の祭りについて紹介します。

四街道市和良比皇産霊神社祭礼(写真:吉野章郎撮影)

 

関連行事

  • 11月6日(日) おはまおりセミナー2022
  • 10月22日(土)、11月5日(土)、11月19日(土)、11月23日(水)、12月3日(土)、12月11日(日)、12月17日(土)、12月25日(日)、1月7日(土)、1月9日(月) ミュージアムトーク