千葉県立関宿城博物館

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> 千葉県立関宿城博物館> イベント・催事> パネル展 「『利根川図志』の世界」  

図志バナー

『利根川図志』に描かれている挿絵を写真パネルにして、江戸時代末期における利根川中・下流域の様子を紹介します。

カッパ

 2 カッパ

カッパは、手足に水かきがあり、頭に皿があるといわれる想像上の生物である。『図志』では、様々な文献からカッパについての記述を紹介している。『望海毎談』では「利根川に子々コという河伯がおり、毎年毎年その居場所が変わる。土地の人々は、その変わった居場所を知っている。カッパがいる場所では、カッパが害を与える」と紹介し、実際に被害にあった話は多い、と付け加えている。

蛇柳

 3 蛇柳(大柳)

江戸時代の関宿城から2kmほど東の葦場に自生していた柳の大木で、現在はない。もとの太い幹が3つに分かれ、その一つ一つの太さは、大人3・4人で やっと抱えられるほどで、全体の広がりは25~26mもあったという。幹に朴(榎)の宿り木(寄生)があって、その部分がわだかまっているので、地元では「蛇柳」とよんだり、遠方から見ると川の北側に柳があるように見えることから 「妖柳」とも呼んでいた。

布施弁財天

  5 布施弁財天社

『図志』には、紅龍山松光院東海寺といい、真言宗の寺院で、関東三弁天の一つに数えられ、参詣人も大勢集まると書かれている。本尊は10cmほどの大きさの木造の弁財天像で、伝来については、紅い龍の伝説や弘法大師伝説が記されており、興味深い。また、対岸の戸頭(茨城県取手市)の渡し舟や寺院(社)のある曙山の桜や楓などと共にとても景色の素晴らしいところであると賞賛している。

無相仕掛の図

 6 無相仕掛の図

『図志』では、利根川で行われていた漁についても取り上げている。 無相仕掛というのは、鮭漁の一つで、下流に向けて、ジョウゴ形に竹ヤライを広げて張り、それに沿って上ってくる鮭が、一番奥の底 のついた網の中に入り込んでしまうようにできている。入口には、鈴の付いた竹を何本も並べ、糸を張る。鮭の体がこれに触れると鈴が鳴り、漁師が長い竿で網を立て、出路を塞ぐ、というものである。

鮭

  7 鮭(鰱魚)

『図志』によると、利根川流域の代表的な物産の一つとして「鰱魚(鮭)」があるが、これは朝鮮名で、中国の書物では「鮭」と書くものが多いという。著者の赤松宗旦は、利根川で産する鮭のうち、故郷の布川産のものが一番美味であると述べている。また、この魚は非常に多くの人々に役に立つところがあるという。

布川大明神帰神輿

  9 布川大明神帰輿

布川神社の祭礼の様子を描いたものである  『図志』の書かれた頃は、同社の例大祭は6月14~16日(旧暦)まで行われ、初日に神輿が御仮殿に遷り、最終日には本殿に還るが、その際に境内でつく舞が催された。本図は、最終日の神輿が還ってきた時の様子を描いたもので、当時の賑わいを知ることができる。現在は3年に1度の臨時大祭となっており、つく舞は行われていない。

結縁寺並頼政卿の墓

  15 結縁寺並頼政卿の墓

源頼政は、平安時代末期の武将・公卿で、怪物退治の伝承でも知られる勇猛果敢な人物であるが、治承の乱(1180)で敗れ、京都の宇治にある平等院で自害をした。頼政の伝説は各地にあり、結縁寺の伝承もその一つである。『図志』には『佐倉風土記』を引用し、頼政が死の直前に重臣を呼び「自害したらその首を持って東国に行 くように」と伝えたと書かれており、本地がその場所であるという。

臼井古城図

  16 臼井古城図

『図志』によれば、臼井古城は佐倉から北西へ4kmあまり行った臼井宿の台という所にあり、著者の赤松宗旦は、実際に同地の大川源五右衛門書成のもとを訪ね、城跡も確認している。その際に、書成が筆をとって描いてくれた図を基に、絵師が縮小して描いたものが本図であるという。江戸時代初頭に廃城となった臼井城の構造を知ることができる貴重な資料である。

児塚の図

  18 児塚の図

『図志』では、西大須賀村四屋の畑の中にあるという。この児塚には、いくつかの伝承がある。そのうちの一つは、ある時、ここを通った子どもが強盗に遇い、衣装などをはぎ取られ殺されてしまった。そこで土地の人々は塚をつくり、手厚く供養をした。それから後に、この辺りを「児の原」と呼ぶようになったという。現在は、成田市四谷の農家の庭に祠が祀られている。

香取大明神宮大鳥居の図

 22  香取大神宮大鳥居の図

『図志』では、下総国香取郡にあり、正殿は経津主大神を祭神とし、相殿は比売神、天児屋尊、武甕槌神を祭神としており、神代から鎮座していると書かれている。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、同県神栖市の息栖神社とともに、東国三社の一つに数えられている。漁業や水運関係者の信仰も多く、野田市内でも20社におよぶ香取神社が建立されている。

海驢嶋眺望の図

  24 海獺嶋眺望の図

『図志』によれば、このあたりでは上品な光沢のある黒石がたくさん採れる。この海岸から400~500m離れた海中に小島が2つあり、これを海獺嶋(葦鹿嶋)と呼んでいるとある。年中20~30頭のアシカが見られるが、多いときは200~300頭にも及び、鳴き声が白鳥に似て遠くまで聞こえて騒がしいという。アシカは、鉄砲で捕獲し、皮を敷物や馬具に使用したり、巾着や財布の材料にすると述べている。

海驢の図  25 海獺の図

『図志』によれば、銚子のアシカは、体長が2.5m程度で、頭が小さくて口が尖り、歯や牙は犬に似ているという。目は大きく、耳はとても小さい。また、口ひげが太くて長く、全身は短い毛で覆われており、普通は茶褐色だが、白色、黒白雑色や蒼黒色などもあると述べている。さらに、左右のヒレに爪があり、先が分かれている、というような記述もあり、アシカに対する興味や関心の高さが知られる。